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病に臥しての不思議体験から生まれた「50音感情の正体」(ゼロの人生-5) 

カテゴリ:ゼロの人生

昭和20年2月、父は伊達の生家へ戻った。
私が4才の頃である。
その頃東京や横浜にいた親戚が、伊達に疎開してきて、私の家(父の生家)の納屋などに居住していたことや、飛行機が飛んでくると皆急いで防空壕へ避難したことなおをボンヤリと覚えている。
昭和20年8月、終戦を迎える。
父の健康は小康状態を保っていたようで、養鶏や野菜作りなどの農業を営む傍ら、治療師としての活動も続けていたようであるが、昭和26年の秋より再び病気で倒れ入院。
精神神経系の病気らしいのだが、当時としては原因不明で医学的には病気として認知されなかったらしく、2カ月で退院させられた。
その後、自宅で室内を真っ暗にして寝たきりの状態が続き、自殺未遂のようなこともあったようだ。
その頃の様子を「ゼロの人生」に次のように書いている。


9月に退院したが、間もなく夜急に目の前がかすんできて、あ、もう俺は立てない、だめだナ、とくずれると、そんなことを言わないでと妻たちがとりすがったのを覚えて、それッきり、ガックリと床についてしまッたのだナ。
極度に全身の神経が弱ったようでネ。
部屋は夜も昼も暗くしてあるしネ。
骨と皮ばかりなのに、それでも寝返りして、夢ばかり見ているのサ。
よくもこんなに奇妙な夢が切れずに出てくるもんだと、みてたネ。
眠ッたのか眠らないのかわからないようで2年間、夢、夢、夢ばかりでネ。
その夢が、30才台から20才台になり、10才台になり、5、6才の思いでまで出てきて、だんだんと出生の方へ逆戻りするのだよ。
そのあとになると、自分の葬式があらはれたり、天空から舞い降りたり、巨人たちの行列が映ったり、キラキラと光る皮が流れてゐる夢などでネ。
そこまできたら、この世から脱出していくことを真剣に考えはじめてゐるんだヨ。


(そこで、自殺を企てるが、未遂に終わる)


そのとき、ハッと我にかへッた、正気に戻ッたのだろうナ。
そのことがあってから、なるようになれヨとなッて、食ひたいものを食ひ食ひたくなければ食はず、薬も神もトックに捨てた、死のうと生きようと一切関係なしだナ、という気分で臥ていたナ。
ところが神経が生きるほうへと帰りだしたようだったネ。
44才の春だネ。
枕元にある新聞を薄明かりの中で手にして見た。
ある日うすうすながら、字が見えてきたのサ。
1ケ月ほどして字が読めるようになってネ。
エンピツで字を書くようになった。
ここからだヨ。
100枚か200枚か、ねてゐて考へてゐたことを、臥たままでつぎつぎと綴りだしたヨ。


この時書かれたものが、後の「生命光体」となったのである。
50音感情の正体なる不思議な研究も、病床にあったときに天啓のごとく頭に入ってきたことが元になっているようだ。


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