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芸術かなづかひ 

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手記は芸術的かなづかひをもって書かれる。
「芸術とは心の叫びであり、科学とは外象迎入の集積である。
私は、現代かなづかひを女的かなづかひととる。
学者的かなづかひと決定打を打つ。
下界の色どりにとらはれるひとたちの、
はやりに染まるひとたちの、
紅おしろいに浮身をやつすひとたちの、
写真のように音の外の姿をうつしたかなづかひとする。
私には学者は性にあわない。

ここに学者がきらいな、人の世の右や左にうごめく迷信といはれるものを占はう。
私は、現代かなづかひ、
女的かなづかひ、
学者的かなづかひ、
共産主義的かなづかひ、
西洋人的かなづかひ、
集団生活者的かなづかひ、
肛門的かなづかひ、である現代かなづかひに挑戦する。

それでは、これから芸術かなづかひを白明にさらそう。
手記は、芸術的かなづかひで書かれていく。
これは口唇的かなづかひである。
肛門的(現代)かなづかひは、学者のもの、女のもので、芸術家のものではなかろう。
口は入れるに開く、肛門は排泄するに開く。
二つながら正しいが、イミは全く独立している。


父、シブヤシゲヨシの著書、「生命光体」の冒頭にはこのように書かれている。
父の文は論理的、科学的に考えても理解できない。
外国語の詩の朗読を聞いて、意味がわからなくても何かを心で感ずると同じように、心で感ずるものなのかもしれない。
理論的に理解しようとしないで、心に何かを感ずればそれで良いのだろうか。


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