スポンサーサイト 

カテゴリ:スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ゼロの人生(その1) 

カテゴリ:ゼロの人生

平成5年11月、父 シブヤ シゲヨシが亡くなったとの連絡を受け、北海道伊達市の父の家へ行った時だったと思う。
テーブルの下に何冊からの小冊子が置いてあり、その一冊、一冊に父の字で「○○へ」と子供達の名前が書かれていた。
子供達へ一冊ずつ渡そうと考えていたらしい。
表題は「室中四八会」 。父が卒業した旧制中学校の同窓会誌だった。
DSCF1639.jpg
 

その中に「0(ゼロ)の人生」と題する父の手記が掲載されていた。
父の60年間の人生を綴ったものだった。
その一部を抜粋して、何回かに分けて紹介します。

 
丈夫な日は十九年
      
八歳の頃の私は、何番目かの弟妹をおんぶして、傘をさして母のいる田んぼへネ、乳を飲ませに行ったもんだったナ。
私が十一の時に父が死んだので、十二、三の頃から、時には朝三時に起こされて、荷馬車の手綱を握って、波止場まで三キロほどの田舎道を往復したネ。
行きには室蘭通いの祖母と二人だから、こっちは馬車の上に居眠りをしながら、のっかかっているんだがネ、帰りはやっと眠気が覚めてきてサ、馬はネ、かまわんでも家へ戻るもんだから、ボンヤリしてゐても心配ないんだヨ。
私の健康は、十九歳、昭和四年の秋で終わったからネ。
だが、それまでは人並みだったナ。
乗馬もネ、十二、三から、一足飛びで駈けさせたし、馬の草刈りも毎日したしサ。
中学校へ入ってからも、夏休みには、荷馬車を追って街の中をハイハイと行ったヨ。
夜の十一時頃までかかってネ。
野菜の荷造りや、それを肩にのせて馬車へ積み上げるのなんか、汗を流して手伝って、我ながら力持ちになってきたナと、その時はスガスガしい気分がしたもんサ。
夏休みには殆ど畑に出てネ。
冬休みにも、押切りで馬のハミ切りをしたり、豆腐引きや、納豆ねかせなんぞ、言いつけられるものにはみんなハイハイと動いて、長男だしネ、父も無いし、口答えすることなど全く知らなかったもんだヨ。
それが、十九歳でニワカニ造られたような病弱になってネ。
私は十九歳から、役にもたたぬ者とゆふ印象を人に与える人間になった訳サ。
十九歳までは丈夫だったんだがナ。
DSCF1641.jpg
スポンサーサイト

この記事へのコメント

コメントをお寄せ下さい

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://sshigeyoshi.blog115.fc2.com/tb.php/46-8fb217db

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。