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前期療法の7年(ゼロの人生-3) 

カテゴリ:ゼロの人生

父は昭和4年に旧制中学校を卒業すると、大学進学のため上京した。
当時農家の長男が、大学に進学するなどは非常にめずらしかったようだ。
しかし、上京後間もなく病気になり大学生活は頓挫して、帰郷を余儀なくされてしまった。
そのときの様子を「ゼロの人生」で次のように書いている。


前期療法の七年
      
昭和4年に卒業して上京した頃、私は神経衰弱気味だったらしいのだネ。
そして、その秋には、神田駿河台に「目と神経衰弱」の著者の医院があってネ、私はそこへかかったのサ。
ここでは、メガネで万病を治す理論を施療にしてゐるらしいヨ。
近眼の私に度の弱い凸レンズ、まあ、老眼鏡でしョ、それをかけさせたと思えたネ。
その頃博士といえば神様のように思えたでしョ。
必ず言いつけを守って治そうとネ。
私はその老博士のメガネを徹底的に、しかも2年間も、眠るとき以外は絶対にはずさないとゆふ、まことに強い意志でかけつづけるとした信者になってしまったのだネ。
メガネをかけてから間もなく頭もボンヤリしてきてサ。
そこで私は生家へ帰ったのだョ。

家へ帰ってからネ、ハガキを書くとネ、「拝啓ごぶさたしました」と書いて、次の行へ移ると、もう前に何を書いたか分からないんだョ。
1年ばかりのうちは、何を食べても塩ッぱいのか甘いのかよく分からないんだョ。
ちょうど頭が消えているようで、ハッキリしないんだョ。

目の奥の方が針でゑぐられるように痛いんだョ。
1年たっても、2年たってもその痛さと、一間先がボンヤリとしか見えないのと、歩けば膝がチクチクして、食も細いし、すぐに疲れるんで、何にも出来ず、正に、ブラブラと、フラフラとして、それでも朝になると目がさめてネ、生きてゐるナと思ひ思ひしたのさ。

街の医者に行っても、原因がわからず、自分で玄米食を食べたり、民間療法を試みたりしたようです。
そしてある日、「本を読めば病気がなおる」という谷口雅春の「生長の家(宗教)」のパンフレットを見て、「月刊生長の家」を読み、これに影響されて養鶏をしようと思い立ったのです。
鶏の世話をしているうちに、少し体調が良くなったようですが、畑仕事ができるような体ではなく、その後伯父より多額の援助を得て大々的にキノコの栽培を手掛けたが、これに失敗したことを契機に、家を出ることを決心。


このとき(キノコが全滅した時)心機一転、私は三つ下の弟に家をまかせて、飛び出したネ。
それは26歳の冬サ、私は室蘭に小さい一戸を借りて白衣を着て、紅療院という看板をかけたナ。






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